先週末、各地の日本ユネスコ協会会員の方たちと共に福島第一原子力発電所周辺20km圏内の現状視察に行ってきた。
2011年の震災以降、実際にこの眼で視る現地の様子は訪れる度に衝撃であり、無情なまでに鳴り続ける放射線測定器の音が、町の非現実的な光景に対する悲しさと目に見えないものとの闘いへの憤りに一層拍車をかける。これまでの視察は主に視覚的要素が強かったが、今回は案内してくださった方が原発事故被害訴訟原告団のひとりであり、被害者の本音に直接触れることができた。
その中で最もやりきれない気持ちになったのは、被害者同士で深刻な分断や対立が生まれてしまったということだ。放射線による汚染は地域社会を、原発からの距離、放射線量、津波被害(自然災害)と原発事故被害(人災)の対応の違い、などによって分断してしまい同じ境遇にありながら人々を仲たがいさせた。事故直後に情報が錯綜し避難の是非が極めて難しかったなか、一時的に避難した人たちが元の場所に戻ると、避難できた人とできなかった人との間で感情的な対立が生まれたそうだ。また避難先では被災者に対し誹謗中傷する落書き、仮設住宅へのいやがらせや破壊行為、差別なども横行した。
僕たちが為すべきは「連帯」であるとUNESCOは説いている。避難先で起きた行為は嘆かわしいものだが、案内の方が「福島原発の電力は全て関東が使っている」というひと言が僕の心にずっしりのしかかった。福島で起こっていることは決して他人事ではないし、東京から僅か200kmで起きた人類史上最大級の事故から目をそらすことはできない。願わくは五輪聖火リレーの出発点としてだけでなく、いつも国民の関心が、故郷を失ってしまった福島の人々や、原発事故収束作業に関わる事柄に向くよう、もっと頻繁にマスコミが取り上げてほしい。僕にできることはパリ・UNESCO本部へ継続的に福島の現状を報告し、有識者の知恵を結集してもらうことだ。
悔まれてならないのは、福島第一原発の危険性は2004年の時点で明確に指摘され、各団体から何度も上申されていたにも拘わらず、聞く耳が持たれず3.11を迎えてしまった。
古代遺跡の多い福島・沿岸部。昨年、浪江町で新たな遺跡が出土した。太古の昔から人間が住んできた地を終わりにさせてはならない。どうか福島に未来を。